さざめく街にて
メンテナンス用のオイルが切れている。
リカルドがそれに気づいたのは、テーブルに銃のパーツとクリーニング用品をすべて並べ終えた後だった。
ストックを出そうと袋を探るも、指先は底を撫でるだけだ。どうやら前回のメンテナンス時に切らしたのを、すっかり失念していたらしい。
やれやれと首を振りながら席を立つ。
折角の休息日だ。本腰を入れてかかろうと思っていたくせに、自分のうかつさには呆れてしまう。パーツをテーブルの端に寄せ、椅子にかけていたコートを手に取る。最低限の装備は身に着けるべきなのだろうが、今はすべて解体中だ。シャツの上にいつものコートを羽織ると、隣の部屋に顔を出した。
「おいルカ」
「あれ、どうしたの?」
声をかけると同時にルカが顔を上げた。
テーブルに広げているのはノートだろうか、休息日だというのに勉強熱心なことだ。
少し出かけてくる、と口を開こうとしたところで別の声が割り込んだ。
「アンジュ姉ちゃんなら買い物行ったで」
声の主はルカの前に座っているエルマーナだった。視線は手元に落としたまま、手を動かしている。どうやら読み書きの練習の最中らしく、ペン先が紙を引っ掻く音が断続的に響いていた。
「そうそう、確か古本屋を探すって」
ルカの言葉にエルマーナがぱっと顔を上げる。
「ちゃうちゃう。小間物屋に行く言うてたやん」
「あれ、そうだっけ?」
幼さの残る顔がふたつ、向かい合ってあれやこれやとさえずり始める。
なごやかなやりとりとは裏腹に、リカルドの腹には妙なむず痒さが広がっていった。
会話が終わるのを待たず、そうか、とだけ告げて扉から離れる。ブーツの底が床を打つ音が妙に大きく聞こえたのは、きっと気のせいではないだろう。
外に出ると、春先にしては強い風が吹きつけてきた。はためく襟元を押さえ、足早に商店通りへ向かう。
武器屋の建物は年季の入った作りで、店のレジに座る店主の額にも同じ年月を経たのだろう皴が刻まれている。オイルの入った小瓶と代金を渡し、釣銭を受け取りそのまま店を出ようとしたところで、ふと思い出したように呼び止められた。
「お客さん、旅の人かい」
「ああ、そうだが」
返答に店主はなにかを思い出すかのように少し目を細めた。それから、ああやっぱり、と続きを口にする。
「昨日通りで見かけたんだよ。修道女様と一緒だったから、妙に覚えててね。ここには巡礼かなにかで?」
「いや、疎開だ」
戦争激化に伴う疎開。それは一行が旅を行う上で定めた名目上の理由だった。
無論本来の目的は違う。だが転生者であること、ましてや追われている身であることなどおいそれと口にできるはずもない。
ルカたちは戦禍から逃れた子供、アンジュは付き添いの修道女でリカルドは一行の護衛。服装の違いも命からがら逃げだしたのだと言えば大方の説明がついた。
それを信じたのだろう店主は特に追求してくることもなく、納得したように何度も頷いた。顔には憐憫の情すら浮かんでいるように見える。
「この辺りはなにもないが、景色はいいところだよ。丘の上に見晴台があるから、時間があったら行っといで」
それだけ言って店主は店の奥へと引っ込んでいった。騙したようでほんの少しだけ気が引けたが、いちいち気に病んでいても仕方がない。
店を出れば目の前は大通りだ。ちょうど昼時ということもあり、人通りも増えている。宿へ戻るかどうか迷った末、結局そのまま街を歩くことにした。
整備の続きに戻らなくてはならないのだが、どうにも足が重い。腹の底に居座っている違和感が足を伝って落ち絡みついている、そんな気分だった。
道すがら、行き交う人々の会話が耳に入る。
このあいだ大きな衝突があったらしい。ここにも徴兵が来るんじゃないか、隣町の転生者狩りはどうなったんだ。飛び交うのは不穏な単語ばかり。
だが、街の空気自体は明るいものだった。人々は不安げではあるものの、悲壮感は見られない。戦場からは山ふたつは離れているせいだろう。
日差しが強くなってきたこともあり、日陰を歩く。走り回る子供、談笑する女性の声、穏やかに語らう老人の脇を抜けると、住宅街に出た。
窓辺には洗濯物が、また別の窓辺には鉢植えが置かれている。人影こそ少ないが、そこここに人の営みがあふれていた。
ここで引き返すか、いっそ街の反対側まで歩いてみるか、そんなことを考え始めた頃だった。
「やあリカルドさん、奇遇だね」
背後からの声。聞き覚えのあるそれに、リカルドは眉間に皴を寄せた。振り返らずに口を開く。
「なにが奇遇だ」
こんな小さな街で奇遇もなにもない、ましてや人の少ない通りではなおさら。吐き捨てるように呟けば、背の向こう側で笑う気配がした。
「ひどいな。その言い草はあんまりじゃないかい?」
少しも残念そうではない口調でコンウェイは言う。下町の街並みには似合わない丈の長いケープと、道化師のように爪先が尖った靴。その上にある顔は、案の定穏やかな笑みを浮かべていた。
「言っておくけど後をつけて来たわけじゃないよ。偶然見かけたから声をかけただけさ」
「どうだか」
信用ないなぁ、と肩をすくめる姿はいかにも胡散臭い。
やはり寄り道などせず宿へ戻るべきだった。元来た道を戻ろうと踵を返し、コンウェイの隣をすり抜けようとした時だった。
「アンジュさんなら広場の方で見かけたよ」
ぴたり、足が止まった。腹の奥、違和感がじわじわと存在を主張する。舌打ちが妙に大きく響いた。
「……お前もか」
積み重なった苛立ちは、ありありと声色に表れた。続けて出た舌打ちは自分に対するものだ。
「おや。ボク以外にも言われたって口振りだね」
やわく笑む姿を横目に、歩を進める。路地を抜ける風は変わらず強く、コートの裾をばたつかせた。
「どいつもこいつも、俺とあいつは常に一緒にいるものだと思っているらしい」
出掛けのルカとエルマーナ、武器屋の店主。そしてコンウェイ。イリア、スパーダとは鉢合わせていないが、恐らく同じことを言うのだろうという予感があった。
「それは仕方ないと思うけどね」
柔い黒髪が隣に並ぶ。見上げてくる視線は穏やかだったが、そこにはどこか楽しげなものが含まれていた。
「あなたと彼女は契約を結んでいるんだ。一緒にいる、いないなら探していると考える方が自然じゃないかな」
「護衛なら四六時中依頼人の尻を追っかけまわしてついていろと?馬鹿を言うな」
たとえ雇い主であろうと、元を辿れば他人だ。利害が一致し、納得ずくの上で契約を結んだ。だがそれは終始行動を共にする理由にはならない。
アンジュが望むのであれば特訓にも付き合うし、荷物持ちも引き受ける。引き受けた依頼はまっとうする、そこに嘘はない。
「そもそも一人で過ごしたい時もあるだろう」
今日の朝、アンジュはリカルドになにも言わなかった。請われないのならばリカルドがなにかを言うことはない、それもまた契約としてひとつの在り方だ。
「やっぱりあなたは真面目だねぇ」
コンウェイの言葉に鼻を鳴らす。この男の言葉はなにを聞いても胡散臭い。
リカルドが警戒していることを知っても、その態度を崩そうとしないのがなお癪に障る。こうして数歩後ろを歩くのもそうだ。
「でもその真面目さゆえに、無意識にアンジュさんを探してしまう―なんてことは」
「言ってろ」
馬鹿馬鹿しいと一蹴し、リカルドは大股にその場を去った。背後でなにやら笑うような気配があったが、構わずに歩き続ける。
住宅の路地を抜けて、再び大通りへ戻る。人混みに紛れたところでようやく足を止めた。
「……ああ、くそっ」
息を吐き出すと共に、コートを脱いで腕にかける。額に浮かんでいた汗を拭うと、リカルドは空を見上げた。春先の陽気を思わせる暖かな日差しが降り注いでいる。いっそ馬鹿げているほどに、澄みきった青だった。
青にところどころ散らばる白。そこからひとりの姿を連想し、また盛大にため息をつく。
「……なにをしているんだ俺は」
らしくない。その一言につきる。
オイルを切らしていたのを失念したことも、ルカ達の言葉に苛立ちを覚えたのも、すべて。普段の自分なら多少なりとも上手く立ち回ったはずだ。
そこまで考えて、また胸中に苦いものがこみ上げる。
役割を与えられたのならまっとうする、それが傭兵としての正しい在り方だ。たとえこの契約が本来とは違う手順で結ばれたものだとしても、リカルドの在り方は揺らぐことはない。ならばこの苛立ちはなんなのか。
やはり宿に戻ろう、そう決めてリカルドは再び歩みを進めた。自然と歩調は速くなる。
ふと視界の端に白い背が見えた。店の軒先、空から差し込む光の中、空と同じ色をした髪が煌めいている。アンジュだった。
どうしてここにと思うと同時に、出逢ってしまった、とも思った。
ひどく間が悪い、これでは本当に自分が探し回って見つけ出したみたいではないか。
声をかけるべきか、かけざるべきか。迷いのまま瞬きを繰り返すと、アンジュの背の向こうに誰かがいるのが見えた。
アンジュよりいくばくか小さく丸まった背は、おそらく老人のものだろう。老人と思しき人物は何度も頭を下げ、対するアンジュはそれを制するように手をかざしていた。
そんなやり取りが何度か繰り返されるのを見、リカルドは肩を落とした。なにがあってそうなったのかは知らないが、アンジュが困っているのだろうということは分かる。依頼人の危機……というには小事だろうが、見過ごすわけにはいかない。内心で言い訳をし、歩を進める。
「おい、」
アンジュ、と名を口にしかけて、とある疑念がリカルドの脳裏に浮かんだ。数瞬だけ逡巡したあと、もう一度唇を開く。
「―おいセレーナ」
声は強張ったものになったような気がしたが、取り繕うことはしなかった。弾かれるように振り返った顔には困惑、次いで安堵が浮かぶ。
「え、あ、リカルドさん」
「あら、お連れの方?」
アンジュの前にいたのは予想通り老人だった。穏やかそうな老婆は、突如現れたリカルドにも笑顔を向ける。
「なにかあったのか」
「ごめんなさいね、こちらのお嬢さんに荷物を拾ってもらっていたの」
穏やかに笑う老婆の手には少し汚れた紙袋があった。おそらく紙袋を落としたか破れでもしたのだろう、とリカルドは推測した。
「本当に助かったわ。ありがとう」
「いえそんな、当然のことをしたまでです」
老婆はもう一度礼を言い、丁寧に頭をさげる。一連のやり取りを見て、どうやら本当に手助けをしていただけらしいと悟る。自然とこぼれたため息は安堵によるものか呆れからくるものか自分でも分からなかった。
手を振りながら立ち去る老婆の背を一瞥し、続いてアンジュを見やる。視線がかち合うと少しばつの悪そうな顔をした後、まなじりを下げてリカルドを見た。
「ありがとうございます」
「俺はなにもしていないが」
老婆を助けたのも礼を言われたのもアンジュで、リカルドは偶然見つけただけだ。礼を言われるようなことはなにひとつしていない。しかしアンジュはゆるりと首を横に振る。
「さっきの、わざとでしょう?」
「……お前は有名人だからな」
聖女アンジュの名はナーオスだけに留まらず、周辺の都市にも伝わっている。ましてこの街はレグヌム領に属するのだ、美名にせよ悪名にせよ、名前を知る者がいる可能性は大いにあった。
広く知られているだろうファーストネームではなく、ファミリーネームの方で呼べば混乱を呼ぶ可能性も下がるかもしれない、そう踏んでのことだ。
「俺がいないところで厄介ごとに巻き込まれていたらかなわんと思っただけだ」
リカルドが素っ気なく言うと、アンジュは少しだけ驚いたような顔をしてから、また柔らかく笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、リカルドの胸にまた別の苛立ちが湧き上がる。笑みは嘲りなどではない、むしろ温かさすら感じる。それなのにどうしてこうも腹や胸がさざめくのだろう。その理由は依然としてあやふやなままで、ただいたずらにリカルドを苛立たせた。
「ところでリカルドさん」
「なんだ」
短く答えると、アンジュはほんの一瞬迷うように視線を動かした。
「レバーソーセージって、お好きですか?」
「は?」
想像もしていなかった問いに、思わず間抜けな声が出た。唐突すぎる質問に眉をひそめると、アンジュは困ったように笑いながら言葉を続ける。
「さっきのご婦人からお礼にってサンドイッチをいただいたんですけど……」
助けた手前ということもあり、ありがたく受け取ったのだという。その後になってレバーソーセージが入っていることに気が付いたが、突き返すわけにはいかず、かといって処分などできるはずもなく。
そこまで聞いて、リカルドはようやく理解する。
「お前にも嫌いな食べ物があったのか」
呆れた口調で言うと、アンジュはむっと唇を尖らせた。
「なんですかその言い方。私にだって苦手な食べ物くらいありますよっ」
子供じみた仕草に、知らず口元が緩んでいた。自覚すれば緩みは自嘲に変わる。
「わかった、それは俺が貰おう」
「本当ですか? 助かります」
ぱあっ、と表情が明るくなるのを見て、またリカルドは奇妙な感覚に襲われた。
やはり、自分はおかしい。普段ならこんな些細なことで笑うことなどない。そもそも依頼人の苦手な食べ物を引き受けるなんて、傭兵生活で初めてのことだ。これも仕事の一環だと括ってしまうのは少し乱暴だろうか。
「そうだ。折角ですし一緒に食べませんか?」
持ち上げた紙袋にはパンの他に果物のようなものが見える。明らかに女性ひとりに渡す量ではないのだが、それだけあの老婆が感謝していたということだろう。
「依頼人の命令なら仕方ないな」
肩をすくめながら答えると、目がぱちり瞬いた。続けて小さく吹き出し笑う。
「いやだわ、そういうことじゃないですよ」
小さく肩が揺れる。遠くで教会の鐘が鳴る音がした。午後を告げる音色に、街は一瞬だけさざめく。
「命令じゃなくてお誘いです。一緒に食べたほうがおいしいでしょう?」
朗らかに告げられた言葉に、小さく息を飲んだ。腹の奥にあったものが、ふうっと軽くなっていく。
「……前言撤回だ。依頼主の誘いなら断るわけにはいかないな」
返事はいつもより柔らかな音になった。なんともいえない気持ちを誤魔化すようにアンジュの腕から紙袋を取り上げる。
「丘の上に見晴台があるらしい。そこで食うのはどうだ」
「まあ、素敵」
提案にアンジュは微笑みを浮かべる。先程の老婆に向けていたのとは種類の違う、どこか無邪気なもの。先に歩き出す彼女の背を追い、リカルドも歩き出す。
いびつな形で結ばれた契約だと自分でも理解している。しかしそれを悪くないと思う自分がいるのも事実。
答えを急ぐ必要はないのかもしれない、と思った。そもそも旅は始まったばかりなのだ、どう転ぶかなんて自分にも誰にもわからない。
なら今はまだ、この妙な心地よさを享受しても良いだろう。
「そうだ、飲み物も買っていきませんか」
アンジュが振り返ると、跳ねる巻き髪が陽の光を受けてきらめいた。
眩しさにリカルドはそっと目を細め、後に続く。足の重さはもうとっくに消えていた。