子供の落書き帖
「もう、笑いすぎですよ」
すぐ脇で上下する肩ををぱしんとはたく。少し強めにやったつもりだったが、治まる気配は全くない。
「いやすまん、どうも止まらなくて」
謝罪の言葉を口にする間にも、呼吸は落ち着かない。普段は表情筋が固まっているのではないかと思うくらい感情表現に乏しいくせに、今日に限ってはそうではないようだ。
ひとしきり笑って波が引いたのか、丸めていた身体を伸ばす。ふうと大きく息を吐く横顔は大分落ち着きを取り戻していたが、笑い続けたための疲労感がわずかに残っているようにも見えた。
「それにしてももう、エルったら」
つい先程のことである。普段は外に出ている事の多いエルマーナが、なにやら机に向かって書き物をしていた。アンジュとリカルドが何をしているのかと問えば、字の練習を兼ねて日記のようなものを書いている、との答えが返って来た。時々ではあるがアンジュたちが字の読み書きと計算を教えていたため、勉強熱心だと感心したものだった。
『それで、今はどんなことを書いてたの?』
『今はなー、アンジュ姉ちゃんが一日に食べたメニュー書いてた』
予想もしない答えに言葉が詰まった。同時にリカルドが吹き出した。
それが今の今まで続いていた彼の笑いの原因だ。今も思い出し笑いなのか頬がひくついている。実は笑いの沸点が低いのかもしれない。
「リカルドさんだって夜遊びに出た回数を書かれてたくせに」
「夜遊びは確かだが、やましい事をしているわけではないからな」
「やましい、やましくないの問題じゃありません」
ただでさえ仲間内は未成年が半数を占める。息抜きも重要だが、ルカたちに悪影響を及ぼすようなことは謹んで貰いたいのが本音だ。
「しかし子供の目線とは面白いものだな」
リカルドが呟く。話題を逸らすのかと思ったが、口元は緩く笑んでいるものだから、アンジュも沿うように肩の力を抜いた。
「そうですね」
エルマーナが見せてくれたノートには二人の事だけでなく、ルカたちの事も記されていた。ルカが躓いた回数、イリアの髪のはね具合、スパーダの帽子の角度へのこだわり。その他にも道中の景色や立ち寄った街の人々についてなどが思いつくまま雑多に書かれていた。
普段自分たちが見落としてしまいそうな事柄も、エルマーナにとっては書き留めるに値する、宝石よりも価値のある宝物なのだろう。
「でも、食べることだけ書かれるのは恥ずかしいです」
アンジュとて乙女である。確かに食には大いに関心があるが、そればかり注目されるのはいくらエルマーナ相手でも納得がいかない。
「確かにそうだが、それも君の魅力のひとつだと思うぞ」
でなければわざわざ書き留めたりしないだろう?そう笑みを含んだままで言われれば、なんとなく悪い気はしなくなる。
「……じゃあ、食べたおやつの事ならいいかな」
おやつならまだ可愛いし。口にしてから数秒開けて、リカルドが声を上げて笑い出した。今度は本気でツボに入ったらしい。
「もう、リカルドさん!」
すまない、悪気はないと謝罪はするものの、合間には堪えきれない笑いが混じる。腹を抱えて丸まる背中が憎らしくて、普段見せないような顔と声がなんだかおかしくて。抗議の意を込めて背中をはたいた手は、先程よりずっと優しいものになった。