神様は盲目

「セレーナは俺の依頼人だ。別々の部屋にされたら護衛が出来なくなる」

こんな素っ頓狂な言い分が通るのがこの集団のおかしなところだと、リカルドは思う。壁に銃を立てかけ、ベッドに腰掛けるともう外はとっぷりと暮れていた。
リカルドの提案に反論するものは居なかった。反論どころか「そうだね、じゃあ一緒の部屋割りにしないと」とまでのたまった。
成人した男女が同じ部屋になると言う事の重大さを知らないらしいルカとエルマーナはさておき、こういう事柄に目ざとそうなイリアとスパーダも反論しなかった。常々彼らを子供だとからかっているリカルドだったが、この時ほどこの差を痛感したことはない。
一方反対側のベッドに腰掛けるアンジュは、宿の食事が余程美味かったのか幸せそうに笑っていた。ルカたちが部屋割りで盛り上がる様を、デザートを片手に見ていた彼女は何を考えているのだろうか。
そうしている間にもアンジュは肩にかけていたケープを脱ぎ、備え付けの机の上に置いている。その上に護身用のナイフとネックレス、そして密かにつけているピアスを外して乗せていく。まるでリカルドと同室で寝ることを気にかけていないような素振りに、小さく溜息が零れる。
「危機感がないな」
「はい?」
ブーツのボタンを外しながらアンジュが聞き返す。白いブーツは長旅で少しくたびれているのか、床に置くとくたりとその場に倒れた。
「依頼人とその護衛とは言え、俺と君は男と女だぞ。一緒の部屋にして問題がないとは思わないのか」
「あら、どうして問題があるんです?」
にこりと目の前の聖女は笑う。分かっていない顔ではない、分かっているからこその顔。こういう面は今まで何度も見てきてはいるが、本当に強かな女だと思う。
「俺が君に手を出すかもしれないだろう」
「依頼人を守るのが役目なのに、そんなことをしてしまったら貴方の道理に反するんじゃありませんか?」
アンジュの言葉に、黙する。リカルドのモットーは契約に準じることだ。アンジュがリカルドに望んだのは、自身の護衛であり、男妾の真似事ではない。
「そういう事を望んだ依頼人もいたのでな」
なるべく短く返す。今までの長い傭兵稼業、女の依頼人にも多数当たったことがある。同時に、男妾のような事を請われたこともある。それも任務のうちでしょう、どの女も同じように囁いた。
リカルドはれっきとした傭兵であり、どのような任務も全うする気でいる。報酬を受け取れるのであれば依頼人の意思に従う。依頼人の思うように、それが傭兵のあるべき姿だ。
「別に、俺は君が望むのなら構わん」
何が、とはっきり言わないのはリカルドなりの気遣いだった。ちら、とアンジュを見ればきょとんとした表情でリカルドの方を見ていた。何拍か置いて、小さく微笑みを零す。口元に手を添える彼女の笑い方は、いつみても表情が読めない。
「私は神に仕える身です。不貞は許されません」
それは的確な答えだ。アンジュは尼僧として教会に尽くす身、異能者として追われても教会という居場所をなくしても、アンジュはいつでも信心深い女性だった。今でも神を信じ敬う彼女が、神に背く行為などするわけがない。
「馬鹿な話をした、忘れてくれ」
それで話は終了のはずだ。明日も早いのだからさっさと寝てしまおう、そう思うリカルドを止めるものがあった、アンジュの声だ。ああでも、と言葉を続けながら白い法衣がこちらへ近づいてくる。白い手が伸びてリカルドの頬に触れて、すっと細い線を描く。
「死神も神様だから、構わないのかもしれません」
リカルドを見下ろすアンジュは、優しく微笑んでいる。見れば見るほど綺麗なつくりの女だと思う。長いまつげや小振りの唇、間近で見るほどに細い腕。何故か香る甘い匂いは、服に香が染みついているのだろうか、それとも彼女自身から香るものなのだろうか。
「ヒュプノスに抱かれるのがお望みか」
「まさか。ヒュプノスさんは貴方じゃありませんから」
細い指が頬を撫でる。こけた頬の上を柔らかな指がさらさらと行き来し、耳を掠める。そのもどかしい感じは何度も味わったあの感覚に似ていた。リカルド自身には身近であり、アンジュにはもっとも縁遠い場所にあるであろうもの。その甘い痺れが穢れを知らないアンジュからもたらされている、それは甘美な事実だった。
「まだるっこしい言い方はらしくないな」
細い手を取り、唇を押し当てる。短剣を握る手には所々肉刺が出来ているのが、唇越しに伝わってくる。まだ柔らかい部分を軽く吸うと、ぴくりとアンジュの体が震えた。
「どう、言えばいいのでしょう」
少し言い淀んだその声は、先程までリカルドに迫っていた女の声とは思えなかった。無理をしていたのだろうか、だとすれば何という愛くるしさなのだろう。
「思ったとおりでいいのではないか?」
その言葉に、アンジュは一瞬戸惑った表情をしたあと、小さな唇を開く。公然と男を誘う言葉を吐くのだろうか、それとも聖女と呼ばれる彼女のことだからもっと取り澄ました物言いだろうか。鈴のような声色がどのように耳を打つのか、考えただけでぞくりとする。ああ、やっぱり翻弄されているのはこっちだったのだろうか。

初出:20090909
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