はるいろ少年少女
「彼女、ちょっと危なっかしいよね」
猫のぬいぐるみを頭に載せたコンウェイが呟く。
「普段がズボンだから、忘れちゃうんでしょうね」
ポニーテールに簪を飾ったアンジュが困り顔で頷く。
「ともかく、誰か教えてやった方がいいだろうな」
漆黒のスーツに身を包んだリカルドが眉を寄せる。
大人三人が揃って頭を悩ませるのは、パーティメンバーであるイリアについてだった。別にイリアが何か問題を起こしたわけではない、いつも通り元気でよく喋りよく食べよく眠る。
では何が問題なのかと言うと、その服装だった。
旅を長く続けていると、何かの縁で服を貰ったり新調したりする事がある。時には気分転換も必要だろうと、各々好きな服装に着替えるようにしていた。
最近のイリアはマムートで貰った女学生風の服が気に入っているらしく、しょっちゅう着ている。しかし砂漠地帯で生まれ育った彼女にスカート……特に丈の短いものは無縁のものだったらしく、どうもその立ち回りが危なっかしい。
具体的にはスカートのまま大立ち回りを繰り広げる、スカートのまま地面に座り込んでガルドを探す、などだ。アンジュの言うとおり、普段からパンツスタイルで過ごしているからか、どうも危機感が薄いように思える。ただでさえ丈の短いスカートだ。ひらめくプリーツの奥、見えてはいけないものが見えるような気がしてならない。もちろん自衛しているかもしれないが、気になるのだから仕方ない。
イリア自身がわざとそうしているわけではないのは、無論理解している。だからこそ注意がし辛いのだ。そうでなくとも言い出しづらい相手に、大人三名は揃って頭を悩ませていた。
「というわけだから、ルカ君教えてあげてくれる?」
「えっ、ええぇえ?!」
すぐ脇で荷物の整理をしていたルカが素っ頓狂な声を上げた。突然の事にうろたえるルカを、大中小と身長順に並んだ顔が見つめる。
「ちょっと待ってよ、なんで僕なんだよぉ」
「君が一番適任だからだよ」
さらりとコンウェイが言う。適任とはなんなのだ、と反論するが相手は唇を笑みの形にするばかりだ。
「べ、別に僕じゃなくても、コンウェイさんやリカルドでもいいじゃないか」
「女性の服装について指摘するのはマナー違反だろう」
至極真面目な表情でリカルドが返す。すがるようにして隣に立つアンジュに視線をやると、困ったような表情を見せた。
「私も最近、イリアにあれこれ言ってるから警戒されちゃってて」
これ以上イリアに嫌われたくないわ、と目を伏せられてしまえばもう言い返す言葉はない。そうでなくても口が達者ではないルカに、居並ぶ大人三人を説き伏せるなど無理に等しかった。
「大丈夫だよ、ちょっと教えてあげればいいだけじゃないか」
「その内容が問題なんじゃないか!」
スカートの中が見えてしまいそうだから気をつけて、なんて普通の女性相手でも言い出しづらい内容だというのに。しかも相手はイリアだ、言い方を間違えれば何を言われるか分かったものではない。
「というか僕が言っても、イリアは聞いてくれないんじゃ……」
「あら、ルカ君なら大丈夫よ」
どういう意味なのだ、と問い返す。アンジュは意味ありげに微笑み、リカルドも頷くばかりでなにも返してこない。コンウェイに至ってはいつの間にか話の輪から外れ、手持ちの本を広げている有様だ。
どうあっても自分が行かなくてはならないのだろうか。どうしても納得は出来ないが、反論することも出来ない。渋々立ち上がると、背後からどんと誰かが圧し掛かってきた。
「ルカ、だいじょぶ。キュキュにまかせる!」
「キュキュさん」
圧し掛かってきたのはキュキュだった。頭の上にはウサギの耳がふたつ、ピョンと伸びて揺れている。今日はバニーガールの服を着ているらしい。
肩越しに覗き込むようにして顔を寄せるので、頬と頬が触れ合うほど近い。瞬きの音も聞こえそうだ。ルカを見かねて助け舟を出してくれたのだろう、その気遣いが今は本当に嬉しかった。
「ええと、じゃあ、お願いしてもいいかな」
「わかた、まかせる!」
背中から重みと熱が離れていく。柔らかな感触が遠ざかる瞬間だけ、頬が熱を持った。ひとまず難は逃れたようで、ほっと胸を撫で下ろす。斜め後ろから視線を感じるが、今は無視するしかない。
キュキュは言葉があまり上手くはないが、それでも口下手なルカよりはいくらかましだろう。それに同性のいう事なら聞き入れてくれる可能性もある。中途半端になっていた荷物の整理に再び取り掛かろうとして、はたと顔を上げた。
「イリアー」
キュキュの呼びかけにイリアが振り向く。
キュキュは語彙が豊富ではない。そして彼女がとる方法といえば、大抵間接的ではなく直接的な方法だ。丸く形作られた唇がどんな単語を発するのか、何となく想像がついた。
「ルカがパン」
「わー! キュキュさん待って!」
最後の一文字を言い切るより早く、言葉を遮った。そのまま駆け寄ると立ち位置を入れ替えるようにして、イリアの前に立つ。自分で言ったわけでもないのに、心臓がばくばくとうるさい。
「何?パンがどうとかって言ってたけど」
「いや、そのパンは関係ないんだけど……」
キュキュの言おうとしていた単語をそのまま口にすることは出来ず、もごもごと口の中で誤魔化す。
「……えっと、あの、そのスカート似合ってるよね」
「そう?あたしも結構気に入ってんのよね」
気を良くしたのか、くるりと一回回ってみせる。回る勢いに合わせてひらんと裾が返って、思わず心臓が跳ねた。悪気があってやっているのではないと分かってはいるが、今の状況では些細な仕草も心臓に悪い。
「ていうか何?用があるんじゃないの?」
「うん、あの、怒らないで聞いて欲しいんだけど……」
息を吸って、吐く。内容が内容だけに、どうしても緊張してしまう。意を決して口を開くと、裏返った声が出た。恥ずかしくはあったが、そのまま続ける。
「……その、スカート危ない、からさ」
どういう意味か、とイリアが首を傾げる。
「……だから、スカートって動くと捲れちゃうだろ」
「はぁ?」
自分でも呆れてしまうほど拙い言い回しだ。うまく説明しようとすればするほど、言葉は取り留めのないものになった。ちらりとイリアの方を見ると曖昧な言葉に少し苛立っているのだろう、目付きが険しくなっている。
「だから危ないし、そうやって動いてると……その、あの、色々見えちゃうかも、だし……」
言葉の最後は殆ど声にならなかった。すぐ目の前のイリアには聞こえただろうが、それを確認するのも怖い。
ルカが喋り終えても、イリアは何も返してこなかった。間にあるのは微妙な空気ばかりで、張り手はもちろん文句のひとつも飛んでこない。
そろそろと目を開ける。ぼんやりとした視界の真ん中に、赤い髪が揺らめく。続いて目に入ったのは、イリアの顔。大きな目が丸く見開かれたかと思うと、一呼吸置いて頬が一気に赤くなった。
顔を真っ赤にしたかと思うと、慌てたように両手でスカートを押さえる。続いて髪の間から覗いている耳もあっという間に赤くなった。思ってもいなかったリアクションに、今度はルカが目を丸くする番だった。
「あ、え」
表情を伺おうとしたが、俯き気味になっていて、こちらからは上手く見ることが出来ない。肩口が震えているように見えるのは、怒っているからなのか、はたまた泣いているからなのか。
「あ、あのイリアごめ……」
怒らせてしまうのは慣れている。けれど泣かせてしまったのなら、話は別だ。無理やりに押し付けられた役目とはいえ、からかったりするつもりは一切ない。
どうしたらいいのかと慌てていると、イリアが顔を上げた。真っ赤な顔で真っ直ぐ見据えられると、びくりと体が固まる。
「……そういうことは早く教えなさいよ、おたんこルカっ!」
「え、えぇえ」
想像していなかった言葉に、間抜けな声が出た。眉を寄せているものの、本気で怒っているわけではないようだ。声もいつもよりずっと張りがない。
「っとに、恥ずかしい……っていうか見てないわよね?!」
スカートを押さえたまま睨みつけられる。視線はいつもどおりに鋭いのに、どこか怯えているようにも見えるのは気のせいだろうか。
「見てない、見てない、見えてない!」
「ならいいけど……っとにもう……」
「あ、でも……スカートが似合ってるのは本当だからね」
爽やかな白いシャツとグレーのベスト、それに緑のチェックスカート。シンプルな組み合わせではあるが、活発なイリアの魅力を引き立てるようでとてもよく似合っていた。レグヌムでは一般的な服装だが、着る人が違うだけでこうも印象が変わるものなのかとルカも驚いた。
「そこまでは疑ってないわよ、もうっ」
「あ、そうなんだ……よかったぁ」
背けた顔、尖らせた唇。落ち着きなくスカートの裾をいじくる指先が、彼女の心情を表しているようで、自然と口元が緩む。
「良かったら上着、腰に巻いとく?」
気休めかもしれないけど、と付け加えて上着を渡す。スカートの丈が気になるなら、上から別のもので覆ってしまえばいい。そうすれば風に煽られたり、捲れたりしても少しは安全だろう。
「……ありがと」
小さく一言。素っ気ない返事とは裏腹に、頬はまだほんのりと赤い。どこか恥ずかしそうな表情に、こちらまで恥ずかしくなってしまう。じわじわと暖かくて、甘酸っぱい。それでも少しも不快ではなくて、むしろ嬉しい。溢れそうなくらい幸せな気持ちに、ルカは小さく微笑んだ。
「一件落着、てやつなん?」
「って事じゃねぇの」
足元に転がっていたガルド硬貨を拾い上げながら呟くエルマーナ、それにスパーダが返事をする。
ガルド探しの途中に割って入ってきたルカとイリアのやり取りを見つめながら、二人揃って呟く。
「まあイリアもルカに言われりゃなぁ、聞かねぇ訳にはいかねぇもんな」
イリアがルカを憎からず思っていることは、ルカを除いた仲間全員が知っていることだ。心を寄せている異性から指摘されるのは恥ずかしいことではあるが、同時に少しだけ距離を縮めるきっかけになるかもしれない。一か八かの賭けだったかもしれないが、結果として上手い方向に転がったわけだ。
「うん、初々しくていいね」
「俺から言わせればまだるっこしいだけだがな」
「あら、それが可愛らしいんじゃないですか」
「ルカとイリア、なかよし!」
純情な少年の背を押した大人が三人、それに発破をかけたのが一人。それぞれ笑ったり渋ったりしながら、好き勝手に言い合う。万一の際はフォローするつもりではあったのだろうが、楽しんでいるように見えるのは気のせいではないだろう。無謀な大人連中を一瞥し、もう一度二人の方へ視線をやる。
ルカの上着を借りたイリアはどうやら機嫌が戻ったらしく、色々動いてみては具合を見ているようだ。ルカもそんなイリアを見て、すっかり笑顔になっている。何を話しているかは聞こえないが、恐らく似合っているとかそういった内容だろう。
穏やかな日差しと相まって、吹く風も暖かい。エルマーナの髪飾りと、スパーダの帽子の飾りが風に吹かれてふわふわ揺れる。
「ま、でもいいんじゃねぇの」
「そやねぇ」
似たような台詞が重なる。お互い顔を見合わせると、やれやれと肩を竦めて笑いあった。