日々を豊かに過ごすために必要なもの

異世界の人々の服は、基本的に変わっている。
中でも海洋国家・アシハラの民族衣装は特徴的で、ボタンもファスナーも存在しない。布を繋ぎ合わせて出来た服を重ね着し、それをまた布や紐で縛ったりすることで服の型にしている。気温の変化に合わせて着込む枚数を調節するのだと聞いたときは、まぁなんとも手間のかかる事をと驚いたものだった。
しかしコンウェイたち来訪者にとっては未知のものでも、アシハラの人々にしてみればコンウェイたちの方が異質のものだった。この世界の一般的な服を着ているルカたちですら、物珍しい目で見られるのだ、それを考えれば人々の視線の意味は想像に難くない。
「……それでもあの言い草はないと思うけどね」
溜息混じりに呟いた言葉は、隣に立つ人に聞こえたらしい。リカルドはにやりと口元を歪めて見せた。先程の出来事を思い出しているのだろう、くつくつと肩を揺らして笑っている。
「いや、あれは傑作だった」
「笑い事じゃないよ」
アシハラに着いて早々、現地の子供に囲まれた。旅人の荷物を上げ下ろしするのを手伝っているのだろう。そのうち一人の少女がコンウェイを見上げながらこう言った。
「あの、大道芸人の人ですか?」
想像外の質問に言葉が出なかった。どう返事をするべきかと迷っているうちに、少女は親方らしき男性に呼ばれてその場を離れてしまった。律儀にお辞儀を残して行くものだから、文句も言えずじまいだ。
「俺達から見ても不思議な格好なんだ。ここの住人からすればそれこそ大道芸人の衣装にしか見えんだろう」
ふんと鼻で笑われる。あなたの格好も大概だと言い返そうかと思い口を開いたがやめた。
「ところでキュキュはどうした」
「ああ、彼女」
リカルドに続くように視線を向ける。少し離れた場所、階段を椅子にしてキュキュがうずくまっていた。膝を抱えるようにして項垂れているので、その表情を伺う事は出来ない。ただいつもの明るさや快活さは感じられない。
「多分船酔いなんじゃないかな」
コンウェイの言葉にリカルドは小さく唸る。声をかけるべきかどうか迷っているようだった。
「リカルドさん、ここにいたんですね」
声に振り向くとアンジュが小走りで近寄ってくるのが見えた。白いスカートが数度はためいて止まる。
「どうした」
「思ったより荷物が増えそうなんです、運ぶのを手伝ってもらっていいですか?」
アンジュは商店街で買出しを担当していた。荷物運びとしてスパーダが一緒にいたはずだが、それだけでは手が足りないのだろう。アンジュの申し入れにリカルドは了承したと頷きで返す。
「コンウェイさんはどうします?」
「ボクはここで待ってるよ」
そうですか、と頷いた後アンジュがキュキュの方を見た。恐らくリカルドと同じ事を考えているのだろう、少しだけ表情が曇る。
「ボクが見てるから大丈夫だよ」
ひらりと手を振ってみせると、二人して顔を見合わせる。少しだけ何かを考えるような間の後、先にアンジュが口を開いた。
「じゃあ、お願いしますね」
「具合が悪いようだったら先に宿に連れて行け」
「分かってるよ、いってらっしゃい」
やはりキュキュの事が気になるのだろう、立て続けに喋る二人をいなして送り出す。並んだ白黒の背中が小さくなるのを確認すると、キュキュの傍に歩み寄る。人が近づいてきたのに気がついたのだろう、うな垂れていた頭がぴくりと動いた。
「大丈夫かい」
「……大丈夫くない」
ひょこんと膝の間から顔を出すと、唇を尖らせる。拗ねる様な仕草にも見えるが、顔色は良くない。
「まあ、この街の空気は独特だからね」
ちらりと商店街の方へ目をやる。
この街は漁業で生計を立てている。特産物といえば勿論魚介の類だ。商店の軒先には鮮魚はもちろん、開いて干した魚も燻製にした魚も並んでいる。潮風に混ざって鼻をくすぐるのは、必ず魚のそれだった。
アシハラの住人はそれを当たり前のものとして受け入れているし、ルカたちも最初は驚いた様子だったがすぐに慣れたようだ。そんな中、キュキュだけがいつまでもこの空気に馴染めないでいた。
元々彼女は生魚や生臭いものが苦手だ。育った場所の影響もあるのかもしれない。その慣れない空気に気分を悪くして座り込んでいるというわけだ。今日はアシハラで宿を取る予定だが、この様子では果たして食事が出来るだろうか。
「先に宿に入ってればよかったのに」
コンウェイの提案に、キュキュは反応を返さない。みんな出払っている中、一人で宿に残るのは嫌なのだろう。
「アンジュさん達が心配していたよ」
「う」
先程までのやり取りを伝えると、キュキュの眉が寄る。言葉こそ拙いが、キュキュは人に気遣われたり心配させたりする事が好きではない。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとハッキリした性格なのだが、自身の弱い面は隠したがるようだった。
「あとで何か言っておいた方がいいと思うけど?」
「言われなくてもそうする。余計なお世話」
またしても唇を尖らせる。しかしつんとした口調にも勢いはなく、どこか無理をしているようにも感じられた。やはり気分が優れないのだろう。
普段なら嫌味のひとつふたつ飛んでくるのだが、今はそんな余裕もないだろう。元より相容れない立場だが、弱いもの苛めのような真似は趣味ではない。声が届くだけの間隔を開けて同じ階段に腰を下ろすと、小さく伸びをした。
「海は嫌いかい?」
コンウェイの呼びかけに、キュキュは返事をしない。ただこちらに寄せる視線を感じるので、聞こえていないわけではないのだろう。
「違う、ちょと苦手なだけ」
二人きりでいることもあるのだろう、刺々しい言葉遣いを取り繕う様子は一切ない。
「同じだと思うけど」
次の言葉に返事はなかった。図星なのかと思ったが、暫くあってからもう一度違う、と声が来た。
「キュキュ泳ぐの好き。だから、嫌い違う」
「泳ぐ、ね」
海と言えばさんざめく波と白い砂浜を想像する。しかし周囲を一瞥しても、アシハラの海は静かでほとんど波がない。砂浜もあるらしいが漁場が主で、いわゆる海水浴には向かない場所のようだ。
「泳ぐんだったらここよりガルポスがいいだろうね。あそこはリゾート地だそうだから」
「ガルポス、海きれい。泳ぐのちょうどいい」
「潮の匂いがダメなんじゃないのかい」
「泳ぐとだいじょぶ」
どういう理屈なんだと思ったが追求はしなかった。肌を焦がすような日差しのガルポスはキュキュのような軽装にはいいかもしれないが、コンウェイのように服を着込んだ者には少々厳しい場所だ。ついでにジャングルの中でとんでもない目に遭わされたこともあり、あまりいい思い出がない。
「ボクはテノスが好きだな。静かで落ち着けそうだし」
「ガラムもいいとこ。ちょと、懐かしい」
コンウェイにキュキュも続く。目は何かを懐かしむように細められている。何を重ねているのか、思い出しているのか、コンウェイには分からない。
「レグヌムはさすがに王都だけあったね」
「工場たのしかた! また行きたい!」
科学技術に目のないキュキュは、レグヌムの工場見学にそれははしゃいでいた。目を輝かせながらあれこれ見て回る姿に、付き添っていた工事夫も何やら楽しげに笑っていたのを思い出す。
マムートは騒がしい街だが、活気もあり人の出入りが多く楽しい。ナーオスは他の街に比べて大人しい印象だが、毎日を穏やかに過ごすのならうってつけだろう。閉鎖的な印象を受けたグリゴリの里、質素だが活力も感じられたサニア村。考えてみればこの世界の地図に描かれた場所、殆どを巡り巡った事になるだろう。
「この世界は驚く事ばかりだね」
「見たことない沢山! すごい」
街並み、遺跡、工業地帯、軍事施設、戦場、そこに生きる人々。
何を見ても目新しく、新たに得る知識は全てちかちかと瞬いている。物珍しい服装も、慣れない習慣も、その街独特のにおいも全て記憶の中に残っている。
山の方からだろう、冷たい風が吹く。シャツの袖とマントの裾を揺らし通り抜けていく。キュキュの様子を横目で伺うと、膝を抱える格好はそのままに真っ直ぐ前を見据えていた。
彼女に倣い同じ方を向く。丁度船が出港したところらしく、港は無人だった。目の前には水平線、その先には何も見えない。お互い黙ったまま数分は経っただろうか、先にコンウェイが口を開いた。
「全部終わって、レグヌムに戻ったらそこで終わりだ」
「はい、終わり」
抑揚なく呟く言葉。それに返る声も同じで、事実を再確認するような簡素な声だった。
無垢なる絆の物語、その結末はお互いに熟知している。
物語の最後、マティウスを打倒した一行は始まりの地であるレグヌムに戻る。そこで別れを告げ、それぞれの道を歩んでいく。物語はそこでエンドマークを向かえる。自分たちの過ごした世界では、どの文献にも同じ結末が載っていた。
「でもまだ、先の話だ」
マティウスの待つ黎明の塔に向かうにはまだ早い。それを実感しているからこそ、こうして方々を巡り己を高めている。強い魔物が出るという場所に赴いたり、新しい力をつけたりと忙しい。
「その時まで、こうして楽しんでいてもいいと思うけど」
いつかは必ず終わりが来る。
ただ今はその時期ではない、それだけの話だ。
己の身に課せられた任を忘れたわけでは決してない。全うし終えるその時まで、この世界を楽しんでも罰は当たらないだろう。
その楽しみで得たものがいずれ、隣に座る相手を消すために使われるとしても、それを承知の上でこの地を踏んでいる。恐らくそれはキュキュも同じだろう。
「キュキュ、この世界好き」
先程とはうってかわって、穏やかな声で続ける。膝の上に顎を乗せて顔を綻ばせる姿は、年頃の少女のそれだ。
「みんな優しい、あったかい。だいすき」
「この街以外は?」
「……どうしてそういう事言う」
ぷくっと膨れっ面になる。不愉快にさせるつもりはなかったんだけど、と弁明するとまた一層膨れた。
「キュキュ姉ちゃーん」
ふと聞きなれた声が近づいてくる。走り寄ってきたのはエルマーナだった。キュキュの目の前で止まると、顔を覗き込む。
「なんや調子悪いって聞いてんけど、大丈夫なん?」
恐らくリカルド達から聞いたのだろう、気遣いの言葉にキュキュは一瞬だけ気まずそうな顔を見せた。
「ちょとだけ、でももう大丈夫」
しかしそれもほんの僅かの事で、すぐに笑顔を浮かべる。それに釣られるようにエルマーナも頬を緩めた。
「そうそう、店のおっちゃんに教えてもろたんやけど……」
エルマーナがキュキュの耳元に顔を寄せる。何やら耳打ち話をしているようだが、コンウェイの方には何も聞こえては来ない。キュキュも最初のうちはエルマーナの話を不思議そうな顔で聞いていたが、そのうちぱっと目を輝かせた。
「本当?! 行きたい!」
「イリア姉ちゃんも門の所で待ってんで。先行くからはよ来てな」
「わかた、すぐ行く!」
一足先に走り出したエルマーナを見送ると、すっくと立ち上がる。尻を払うと大きく体を伸ばした。穏やかな日差しに傷だらけの体が照らし出される。余程いい話なのだろう、先程までの気だるさはすっかり吹き飛んでいる。
「それじゃキュキュいてくる」
「そう、気をつけて」
コンウェイの返事を待たず、二段上の階段から飛び降りる。ヒールが石畳を叩くと硬質の音が響いた。
「ひとつ、いい事を教えてあげる」
この世界には不釣合いな、しかし耳慣れた言葉。自分とキュキュにしか理解できない音は、異世界の言語だ。座ったまま顔を上げると、随分高い位置からキュキュが見下ろしてくる。
「アシハラの花はとっても綺麗なのよ。きっとこの世界で一番だと思う」
知ってた?と金色の右目を細めて意味ありげに微笑む。年齢よりずっと大人びた笑みは、コンウェイ以外に向けられる事は殆どない。見せ掛けでない、素の顔がこちらを見ている。
「進言どうも」
母国の言葉で返事をすると、キュキュの笑みが一層深くなる。それひとつを残し、踵を返すとエルマーナを追いかけていってしまった。レモン色のマフラーがはためいたかと思うと、あっという間に遠くに消えてしまった。何を耳打ちされたか知らないが、余程胸躍るものなのだろう。
「全く現金だな」
ふうと息をひとつ吐き出すと懐の中から本を取り出し、開く。先日中古屋で買った歴史小説は思ったより面白く、もう半分まで読み進んでいた。続きを読もうとページを開くと、ぽっと一点が朱に染まった。
唐突な朱色の正体は花びらだった。どこからか飛んできたのだろう、文字の上に載るとそのままそこで立ち止まった。指で退けてやるとあっけなく本の上からいなくなったが、またすぐ同じ花びらが落ちてきた。もはや痛みを感じる事もなく収まったレンズにも、花びらは優しく触れて逃げていく。
「なるほど」
ふいに頭の上を見上げると、満開の花があった。椅子代わりにしていた階段のすぐ上に木が植わっていたのだが、少しも気付かなかった。
コンウェイの視界の中に葉の緑は一片もなく、薄桃色の花びらと隙間から青空がほんの少しだけ顔を覗かせている。絶景とはまさにこの事を言うのだろう、活字にだけ目を奪われるのは勿体ない。
「――やれやれ」
本を閉じてしまうと、もう一度顔を上げる。満開の花を見上げて一息つくと、アシハラの花はとっても綺麗、と目を細めた少女のことを思い出した。
「言うとおりになるのはちょっと癪だけどね」
視界にはあふれんばかりの桃色が広がっている。美しいこの光景は瞼の裏に焼きついて、ふとした時に心をくすぐりざわめかせるのかもしれない。濃すぎるほどの潮の匂いも思い出すだろう、最初は慣れなかった異国の味も懐かしく思う日が来るかもしれない。
そうしていつか彼も彼女もあの人の事も全部、全てがいとおしく求める日が来るのかもしれない。時々思い出したように痛み、刺激になる日々。けれど人が生きていく上で必要なことだ、とコンウェイは考える。
「でもまあ、悪くはないかな」
大きく深呼吸すると、潮の中に薄く花の匂いがする。そのささやかさに、薄くコンウェイは笑んだ。そう、決して悪くはない。

初出:2013 コンウェイプチオンリー記念アンソロジー寄稿
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