グランデ・グランデ
「やあキュキュ。偶然だね」
「うげっ」
どう考えてもばったり顔を合わせた相手にする態度ではない。が、コンウェイは構わず続ける。
「君もここに用事?」
コンウェイが示すここ、とは図書館の事だ。時々開く自動ドアからひんやりと冷たい空気が漏れてくる。
「そう。勉強する」
肩にかけたトートバッグは勉強道具が詰まっているのだろう、ずっしりと見るからに重量がある。
「偶然だね。ボクも図書館に用事があるんだ」
今度こそキュキュは心底嫌そうな顔をした。眼帯をしていない方の目が眇められ、どうするか思案している。
キュキュはルカたちと同じ高校に通う交換留学生だ。コンウェイは一応彼女の後見人という立場になる。しかしキュキュはそれを全く快く思っておらず、それどころか嫌悪していた。互いの出身国の関係上仕方ないのだが、一応は態度を軟化させているつもり、らしい。
「……キュキュ、勉強する。邪魔しないで」
「はいはい」
先に自動ドアをくぐるキュキュからワンテンポ遅れてコンウェイも図書館に入る。
カウンターに詰めている司書に本を返却し、書架庫へ足を踏み入れた。新旧様々な紙が放つ独特の匂い。少しかび臭いとも言い表せるこの空間が好きだ。
興味のある分類を一通り流し見、気になる本を手に取った。そのまま自習コーナーへ向かうと、キュキュを探す。
窓際の机で銀色の髪を見つけた。綺麗に結われた髪に赤い髪飾りと、ライムグリーンのノースリーブブラウス。色彩に乏しい図書館ではどうやっても目を引く。
「失礼するよ」
向かいの椅子を引き、腰を下ろす。コンウェイが近づいて来ていたことにキュキュは気づいていただろう。顔を伏せたまま、目だけでぎろりと睨まれる。
「邪魔しない、言った」
「ボクは本を読むだけだよ。邪魔はしない」
再び心底嫌そうな顔。席を移動するかどうか悩んでいるのだろう、すでに参考書などを広げているため今から閉じて運ぶのも手間だ。
「……邪魔したら、追い出す。わかた?」
「分かってるよ」
返事を聞くなりキュキュは再び机に向かった。脇に積み上げた参考書に囲まれ、黙々とペンを走らせる。紙を削る音を聞きながら、コンウェイもまた本に目線を落とした。
真夏の図書館は涼を求めて来た人が多い。とはいえ図書館のルールを破る者もいない。皆一様に本を探すかページを捲るかに専念している。時折居眠りをする人もいるが、それはまた別だ。
クーラーが冷風を送り込む音と紙面を捲る音、たまに密やかな話し声。極たまに子供の泣き声。どれも少しだけ遠くで鳴り、心地よい集中力を促してくれる。
「うーん……」
キュキュが小さく唸った。恐らく無意識だろう。
行き詰まったのか、ノートを睨みつける。続いて首を傾げ、消しゴムを手に取る。消した上にまた字を書くが、やはり納得がいかないようで再び消した。
「んんー……?」
余程集中しているのだろう、コンウェイの視線に全く気づかない。続いて横に積んだ参考書を開くが、また首を傾げる。いつも思うのだが、右目だけで見づらくはないのだろうか。
参考書は当てにならなかったのか、隣にあった図書館の本を開く。数ページ開いては見、また進むを繰り返しているうちに、答えにあったのだろう、パッと笑顔になる。
「君、意外にかわいいね」
言葉にしてからしまった、と気づいた。邪魔をしないという約束だったのだ。途端、金色の目が険しくなる。
「コンウェイ、キショい」
「……あまり女性が口にする言葉じゃないよ、それ」
そういうと、キュキュは広げていた本の表紙をこちらに向けて見せた。表紙には『古今東西罵倒集』とある。
「これに書いてあった。使い方、あってる」
なんてものを読んでいるのだと思ったが、指摘はしない。自分の手にある本もまた、あまり人様に褒められるようなものではないのだ。
「邪魔して悪かったね。休憩がてらなにかおごるよ」
この図書館は一階にカフェが併設されている。冷房で冷えてしまった体を温めるには、ちょうどいいだろう。それに納得したのか、キュキュも本を閉じて机の端に寄せ始めた。
「……じゃあ、キュキュ、アンジュスペシャルする」
「なんだいそれ」
ニヤリ。今日顔を合わせて初めて笑顔を見た。
図書館を出て、カフェに入る。レジに並んだ途端、キュキュはいつもの片言が嘘のようにつらつらと注文し始めた。エクストラだホイップだチョコチップだと並べた後、
「それ、二つ!」
と言い切る。そして再びコンウェイを見て、ニヤリと笑う。メニューからすると冷たいドリンクのようだ。ついでに先程キュキュが『アンジュスペシャル』と言っていたのを思い出し、知り合いの短大生の顔が浮かんだ。
「……ボクは温かいものが飲みたいんだけどな」
「おごる言った。ごちそーさま」
自分から言い出した手前、断ることは無粋だ。これ見よがしに温かいものを注文するとまた機嫌を損ねるのは目に見えている。今回ばかりは付き合うとしよう。
カウンターから出てきたカップの大きさを見て、キュキュが一瞬だけ怯んだ顔をしたのをコンウェイは見逃さなかった。グランデと言ったのだから当然なのだが、そこまで意味は知らなかったようだ。
しかし、二つ出てきたうちの片方を渡されコンウェイ自身もまた怯んだ。
それを見てキュキュがひそかに笑った。少しばかり腹が立ったが、まあ、今日ばかりはよしとしよう。