冷夏、あるいは盛夏に似て
リカルドは自分の誕生日が好きではない。
正確に言うなら『自分の誕生日を人に教える事』が好きではない。
リカルドは夏の生まれだ。ガラムの夏は湿度こそないがひどく暑い。年中通して温暖な気候のレグヌムあたりの観光客は、この季節に来ては暑いと文句を言って帰っていくのが常だった。
燦々と照りつける太陽。焼けるような日差し。抜けるような青い空と煙たなびくケルム火山。ガラムの夏を知り、またリカルドの性格を知っているものはみな口を揃えて『似合わない』というのだった。
誕生日に似合う似合わないもあるか、と子供の頃なら反論しただろう。だが今ならわかる。自分に夏は似合わない。
同じ傭兵仲間は夏生まれにしては肌が白すぎると言った。また別の仲間はお前の性格は夏っぽくないと言い、しまいにはあり得ないと付け加えた。冬生まれなら納得できるのにね、と笑ったのは前の恋人だ。
紐解けば子供の癇癪のような理由だが、誕生日を口にしなくなるには十分だった。なぜ問われたことを答えただけなのに、文句を言われなければいけないのか、そして文句を言うのか理解ができない。人は自分の生まれる親も時間も選べない、季節なんてもってのほかだというのに。
面倒事は避けたい。変えようのない事実を口にしなければそれで円滑に進む。その代わりリカルドも相手の誕生日を聞くことはしなかった。
「リカルドさん、夏生まれなんですか?」
だがその誓いはおよそ十年ぶりに破ることになった。失策だった、とすぐに自戒する。
雑談の流れで誕生日を聞かれ、そのまま答えてしまった。顔を上げると目を丸くしたアンジュがいる。
「……なにか問題でもあるのか」
アンジュの反応は想定の範囲内のものだった。大きな目をまたたかせ、リカルドを見る。
「いえ問題なんて」
視線を手元に戻す。今は銃のメンテナンス中だった。ライフルは分解され複雑なパーツに分かれ机の上に並んでいる。細かな作業ゆえあまり雑談しながら進めたくはないのだが、アンジュと同室になった今日ばかりはどうしようもない。
パーツをひとつづつクロスで拭き、元の場所に戻す。作業に戻ったリカルドをアンジュはどう見ているのだろうか。ぱらりと紙をめくる音がした、きっと彼女も読書に戻ったのだろう。
話はこれで終わりだ。リカルドは夏の生まれである、その情報で完結する。ここからの進展はない。あとは手入れを済ませて眠るだけだ。
「夏かぁ」
ぽつりとアンジュが呟いたが無視をする。作業に集中して聞こえないふりをすればいい。
「確かにリカルドさん、夏っぽいですものね」
「……なんだって?」
反応してからまた後悔した。無視をすると決めたくせに、話を終わらせたがっていたくせに、自分が嫌になる。
だがしかし、彼女は今なんと言ったのか。
「リカルドさん夏っぽいところありますよね、って言いました」
二度聞いても理解ができなかった。
「俺のどこがそう見えるんだ」
口をついて出た質問に、また内心驚いた。話を切り上げたかった心より、言葉の真意を知りたい欲のほうが勝った。
「だってリカルドさん、情熱的じゃないですか」
「……は?」
今日二度目の間抜けた声が出た。だがこれはリカルドのせいではない、アンジュの言葉が突拍子もなさすぎるのがいけない。
「普段は冷静で落ち着いてらっしゃいますけど、実際はとても熱いところがあるでしょう?」
思わず首を傾げた。やはり理解ができない。
アンジュと契約を結び、旅に同行するようになってそれなりの日数が経つ。年長同士ということもあり、会話の回数も多い。共に酒を酌み交わしたこともある。
それだけ付き合えばリカルドがどういう性格かは分かるはずだ。少なくとも情熱的と評されるようなことは、間違いなく、ない。
「冷血漢の間違いだろう」
ある程度付き合いのある人間は大体が口を揃えて言う。冷静、冷血漢、落ち着いている、冷めているなどがリカルドに対する主な評価だ。ルカたちに聞けばそういうに違いない。
「確かにリカルドさんは冷たいところがあります」
しかしアンジュはにこりと笑う。
「でも本当に冷たい人なら、あの場でわたしたちを見捨てているはずだもの」
彼女の言葉がなんのことに関してなのかは問うまでもなかった。契約を反故にし、依頼人に銃口を向けたあの日。その銃口は向きを変え、前世の兄に向った。
だからこそガードルは死んだ。そして今、リカルドの前にアンジュがいる。ルカがイリアが、スパーダがエルマーナが、生きている。
「……馬鹿なことを」
あれを情熱というにはあまりにも短慮だ。突き動かされた結果があれなら、情熱はすなわち愚昧ということになる。
「そうかなぁ」
穏やかな声。いつの間にかアンジュの視線は手元の本に落とされていた。リカルドもライフルのパーツへ戻す。金属が触れ合う音と紙が擦れる音、その中に時計の秒針が動く音が混ざる。
「わたしはとても似合ってると思います」
呟くような声。聞こえない振りをしてライフルを組む。最後のパーツをはめ込み、ズレがないかを目視で確認する。最後に銃身全体をクロスで磨くとメンテナンスは完了だ。メンテナンス用品を専用のケースにしまい、手近な鞄に放り込む。
油で汚れた手を洗いに洗面台に向かう。黒く汚れていない指で蛇口をひねると勢いよく水が流れ出した。石鹸を泡立てひとしきり洗い、水で流し終えると顔を上げる。
備え付けられた鏡に自分の顔が映り込んでいた。見慣れた自分の顔、黒い髪に白い肌。額の傷とあまり大きくない瞳。リカルドを構成するのは夏と熱とはほど遠い色彩だ。
「……どう考えても似合わんだろう」
そう呟く口の端はひっそりと吊り上がっていた。まるで喜びを堪える子供のように不器用な笑み。生まれた季節と同じ熱が、今この瞬間は確かにリカルドの胸に宿っていた。
後日、リカルドが夏の生まれだと知った子供たちは一様に同じ反応をした。
「いや、夏って顔じゃなくない?」
「どう考えても冬やん」
「でも熱いところはそれっぽいと思うよ」
「あー、戦場に出ると熱くなるところはそれっぽいな」
口々に好き放題言う子供たちにリカルドは大きくため息をついた。アンジュは思っていた反応と違ったのだろう、珍しくうろたえたようにリカルドを見つめる。
やはり言うべきではなかったと自戒する。だが不思議なことに後悔の念はまったくなかった。それどころか妙に晴れやかな気分だったことは、決して口にはしなかった。