曇天。合間に日差し
夏前のレグヌムは雲が多い日が続く。スパーダはこの時期に生まれたことがあまり好きではなかった。
同じ夏生まれなら、からっと晴れた青空の下に生まれたかった。晴れているのだか曇っているのだか分からない日に生まれたなんて、まるで最初から疎まれているみたいだ、と。
覚えている限り一番古い記憶では母親が祝ってくれた。
小等部から中等部の間はハルトマンが。
高等部に入った時は家に帰らなかったが、当時付き合ってた彼女に祝ってもらったような気がする。
お誕生日おめでとうと言われた事より、なんで生きているんだと笑われることの方が多かった。ああお前まだ生きてたのか、と嘲笑したのは一番上の兄だったか、父親だったか。
誕生日はその人が生まれたことを祝う日だと言う。他人の誕生日は素直に祝えた、相手が生まれたことに価値があるとスパーダ自身が思うからだ。
だがそもそも生まれたことを疎まれる人間は祝う意味があるのだろうか。薄曇りの、晴れ間もない日に生まれた命。
ただの生存確認の日、それがスパーダ・ベルフォルマにとっての『誕生日』だった。
「スパーダ、お誕生日おめでとう」
十八歳。ルカがくれたのはいくつかの本。読書の習慣がないスパーダが退屈しないようにと、色々なジャンルの本をまとめて送ってくれた。
「久しぶりー。あ、誕生日おめでと」
十九歳。イリアは食事をご馳走してくれた。ハンバーガショップで一番高い三段重ねのバーガーをふたつ。噛り付いたら具がこぼれて、お互いに大笑いした。
「折角だ。いい場所に連れて行ってやろう」
二十歳。リカルドと一緒に夜の街に出た。いつだかの事があったから期待していたけれど、行き先は静かなバーだった。初めて飲んだ赤ワインはあまり旨いとは思えなかった。
「おめでとうスパーダくん」
二十一歳。アンジュは万年筆のセットをくれた。深い黒色のボディはよく見れば細かな装飾が施されている。どこかで見たような模様。それがデュランダルに似ているのだと気づいたのはしばらく後だった。
「スパーダ兄ちゃんおめでとうなぁ!」
二十二歳。エルマーナは肩をもんでくれた。軍人さんは大変やなぁ、と言いながら慣れた手つきでマッサージをする。気持ちよかったけれど、扱い方は年寄りへのそれだった。
旅をする前に十七の誕生日を迎えていたから、コンウェイとキュキュに祝ってもらうことはなかった。
コンウェイは多分、本をくれるだろう。キュキュはどうだろうか、スパーダへのあたりが強かったが誕生日なら邪険にされることもないような気がする。今となっては想像するしかないけれど。
十七歳から今まで、ろくな思い出がなかった日が特別な日になる。誕生日は本来こういうものだった、と今更になって思い出す。
「来年からは奥さんに祝ってもらいなさいよ」
二十三歳。久しぶりに仲間が揃った。
レグヌムのレストランの一角、主役のスパーダを主席に置き、ルカとイリアが並んで座る。ひとつ開けてエルマーナ、アンジュとリカルドは向かい側の席に並んでついている。皆めいめいに歳を重ね、見た目も変わった。それでも雰囲気は旅していた頃と変わらない。
「は? なんでだよ」
「なんでって、あんた結婚するんでしょ」
イリアの言う通り、スパーダは昨年末に縁談が決まっていた。相手は地方貴族の三女という、よくも悪くもない経歴。今日はスパーダの婚約記念も兼ねていた。
「せっかくの誕生日なんだから、奥様と過ごすのもいいことよ」
とアンジュ。隣のリカルドも頷いている。
「まあ、そりゃそうだけどよ」
婚約者は控えめな女性だった。あまり笑わないが、笑うとえくぼが出来て可愛いというのを最近知った。
家で決められた結婚ではあったが、ぞんざいに扱うつもりはない。今日自分が祝われてるように、彼女の誕生日も祝う。これから先は結婚記念日も、いつかは子供の誕生日もその中に入るだろう。
だがそれとこれは違う、とスパーダは思う。
「嫁さんに祝われるのと、お前らに祝われるのは別だろ」
半年間一緒に旅をした仲間と、これから先一生の伴侶となるだろう女性。天秤にかけるのではない、どちらが大事かではない、等しく、同じだ。
「……来年からは祝ってくれねぇのかよ」
ぽつりと零した声は拗ねた子供のような音をしていた。テーブルについている全員の視線が自分に注がれているのが、痛いほどに突き刺さる。耳のあたりがひどく熱い。
「よし。お前たち好きなものを頼め」
一瞬の間をおいて、第一声を張ったのはリカルドだった。周りの同意を得るより早く、ウェイターを呼び止める。
「じゃあハムとチーズの盛り合わせをもう一皿と、鮭のムニエルを一皿追加でお願いします」
「ほならウチ、シーフードパスタ追加でー」
「リカルドさん、ワインどうしましょう?」
「そうだな、赤よりは白がいいだろう」
真っ先にメニューを開いたのはアンジュだった。そこに次いでエルマーナが顔を突っ込む。どんどんと出てくるメニューはどれもスパーダの好物ばかりだ。
「大丈夫だよスパーダ」
すっきりと通る声でルカが言う。この数年でかけるようになった眼鏡の奥で、新緑色の瞳が微笑む。
「これからもずっと、みんなでお祝いしようね」
「えー、おじいちゃんとおばあちゃんになってもやるの?」
イリアが笑う。淡い赤をまとった唇で、昔のようににやりと不敵に。
「……当然だろ!」
これからもずっと、が叶わないことはスパーダ自身も分かっている。誰かが欠ける日も来るだろう、自分が真っ先に欠ける可能性だってある。
「よっしゃお前ら乾杯するぞ!」
「えーまたぁ?」
文句と笑いの中、めいめいにグラスを掲げる。ちりんと触れ合う音は今日何度目だろうか。
一年に一度、迎える意義すら見いだせなかった日。生より死を求められた日。
たとえ雲が厚く被さろうと、雨が降ろうとも。祝杯を挙げるにふさわしい日に、かけがえのない日になった。